カテゴリ:☆道立埋蔵文化財センター( 3 )


2011年 03月 06日

⇒特別展) 道立埋蔵文化財センター 「縄文大工事 盛土と周堤墓」 10月30日(土)~2011年3月6日(日)

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○ 平成22年度当館特別展示
   縄文大工事 盛土と周堤墓 

  「北海道遺跡百選」3
  千歳市キウス4遺跡国指定史跡キウス周堤墓群
 



 会場:北海道立埋蔵文化財センター・入り口ホール
     江別市西野幌685番地1
        ※駐車場完備
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238

 会期:2010年10月30日(土)~2011年3月6日(日)
 休み:月曜日 他 12月26日~1月3日
 時間:9:30~16:30
 料金:無料

ーーーーーーーーーーーーーー(12.29)

 一度見に行きたいと思っていたキウス周堤墓群をごく最近に見に行ったのです。そして、余りにもグッド・タイミングでのキウス遺跡紹介展でした!

 お金を使わないで、ささやかでワイルドなビジュアル展示、なかなかの工夫にちょっとビックリ、そして学芸員にもあれこれと質問です。

 遺跡現場や、展示風景の紹介を本編でしたいと思っています。
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by eitu | 2011-03-06 09:40 | ☆道立埋蔵文化財センター
2009年 03月 14日

○考古学講座) 埋蔵文化財センター 「拓本講座」 2月21日(土) 3月14日(土) 無料

f0142432_10311857.jpg○ 平成20年度 当館考古学講座
   「拓本講座


 【内容】 : 墨と画仙紙を使って土器の文様を写しとる「拓本」を体験します。・・・。

 【日時】 :2009年3月14日(土) 13:30~15:30


 【対象】 :中学生から成人。保護者同伴の場合、小学生も可。

 【申込】 :2月14日から電話にて受付。
       先着40名

 【料金】 :無料

 会場:北海道立埋蔵文化財センター・2階研修室
     江別市西野幌685番地1
        ※駐車場完備
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238

ーーーーーーーーーーーーーーーー(2・23)

 当館ではほぼ常時、常設展会場付近のロビーで拓本の練習ができるようになっています。私もほんの少しですが体験しました。なかなか面白かった。
 手作業の体験講座は苦手ですが、その経験があるので興味が湧きます。

 既に申し込みは始まっています。先着40名です。申し込み状況はどんな感じでしょうか?気になる方は電話確認して下さい。
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by eitu | 2009-03-14 10:13 | ☆道立埋蔵文化財センター
2009年 02月 21日

○講演会)埋蔵文化財s. 「種子からみた極東アジアの農耕の開始と展開」 2月21日(土) 13:30~15:30 無料

f0142432_1535151.jpg○ 平成20年度 冬期講演会

 【題目】 : 「種子からみた極東アジアの農耕の開始と展開」

 【講師】 : 小林弘己・氏 (熊本大学文学部准教授)

 【内容】 : 考古学的調査により栽培食物利用を研究されてきた講師から最新の成果をわかりやすくお話ししていただきます。

 会場:北海道立埋蔵文化財センター・2階研修室
     江別市西野幌685番地1
        ※駐車場完備
     電話(011)386―3231
     ファクス(011)386―3238
 日時:2009年2月21日(土) 13:30~15:30

 料金:無料。150名で締め切り。当センターに電話申込。

 【参加特典】 : 参加者全員に当センター特別制作ポストカード3枚セット進呈。

 主催:当センター

ーーーーーーーーーーーーーーー(2・7)


 農耕文化の開始といえばチグリス・ユーフラテス川地域が始まりであり、古代四大文明にスポットライトをあてて語られることが多い。
 近年、遺跡の発掘調査が広く進み、機械工学の進歩により検出された植物遺体の研究は目を見張るものがある。特に資料遺体の絶対年代測定結果は新聞紙上をにぎわして、一般古代愛好家を喜ばせている。
 完新世の11,500年前から各地の古代文明の発祥までの農耕の変遷の解明が進んでいる。その視野は四大文明という限られた領域を意味しない。有史以前の全地球規模での人の暮らしぶり、その足跡の秘密探しだ。ミッション・リンクの一つ一つが少しづつ明らかになり、古代の不思議さはその魅力を増している。

 日本の農耕といえばコメだ。
 かつて柳田国男は「海の道」と言い、遥か南方からの伝来を夢に見た。コメと人とが沖縄諸島を経由して日本列島に辿り着いたのだ。
 中国・朝鮮の遺跡の発掘は日本へのコメの伝播に関しては一つの答えを出している。
 コメの始まりの一つは中国華中だ。長江中流域での野生のコメの採取は定住コメ栽培とすすんだ。それは長江下流域へと拡がり、さらに温暖化の流れで北上し山東半島へと、そして対岸の朝鮮半島、半島を南下し日本列島の北九州にたどり着いた。日本の弥生時代の曙だ。弥生の始まりは昔はB.C.300年頃と習ったが、どこまで時代を下らせるかが最近の考古学の話題になっている。

 北九州の話は北国からは遠い。しかも北海道はコメとは無縁だった。寒いということもあるが、道内縄文人は栽培などという面倒なことをしなくても食物確保には困らなかった。おかげで日本列島の歴史とは呼応しながらも、独自の道を歩むことになった。その一つの道がアイヌ文化の成立だろう。
 一方、コメは作らなかったが道内縄文時代早期の遺跡からヒエなどの植物遺体が出土している。野生採取から始まり栽培化されていったものだろう。補助食物として利用されたのだろ。
 それらがいつ頃から定住栽培されたかということよりも、北海道全般の食物確保の動き、集団の人間関係の意味、他集団との交流という視点で考えた方が楽しいだろう。

 コメは無縁だと言った。だが、かつてのアイヌは内地人とのコメとの交易は死活問題に発展していった。
 そして近代、明治以降の温暖化の流れで、移住した内地百姓達のコメへの執念は成功した。明治政府はコメ作りを否定していたというのに、今や日本最大の米どころになった。
 いまその田地を見れば多くの土地が休んでいる。それは良いことなのか、悪いことなのか?決して土地が疲れきっているというのではないのに。

 
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by eitu | 2009-02-21 14:18 | ☆道立埋蔵文化財センター