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下沢敏也・陶展
会場:STVエントランス・アート
中央区北2条西2丁目
STV北2条ビル 1階ホール
(南進一方通行の西側のビル。)
電話(011)207-5062
会期:2009年7月27日(月)~8月16日(日)
時間:月~金 9:00~18:00
土・日 9:00~16:00
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案内状を頂ました。ありがとうございます。
「第67回は、下沢敏也さんの陶作品をご紹介します」
焼き物の素材は土、土が大地に還る、そして社会に再び還ってくる。それは生死の往還と言えるでしょう。
下沢敏也さんはその辺に拘っています。今は作家の遊び心や飛躍心を抑制気味にして制作されている。精神の土台を表現の骨格を固める時期、という意識があるのかもしれない。
大きなガラス窓から光が射し、似た服装の会社務めの男女の群れ、まさに都会のワンシーンが展示空間です。そこでの調和に重きを置くのでしょうか?それとも「何か変だな」という違和感も導入するのでしょうか?
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陶とは何かと問われたら、「泥と火と手の結晶」と今は考えています。意図的に造られたかけがえのない物です。
日本人の場合は縄文時代という有史以前の長い長い焼物の歴史を持っています。それは単なる歴史とは呼べない現象です。数千年に及ぶ長きに渡って「焼き物」に拘った、更に重要なのは焼物(土器)ばかりに拘って自己表現(集団表現)にいそしんだということです。あまりに断絶のない歴史に作品の素晴らしさ以上の驚きを持ちます。
(「縄文」の次に「弥生」という時代区分があります。土器という同じ範疇の言葉を使います。しかし、両者の違いは決定的です。「弥生」の時代精神を考える時に、ほとんどその土器は文化の中心には位置しない。だから、「縄文土器×弥生土器」という対立概念は成立しない。弥生時代は土器ではなく鉄が大事な文化物であり、それを前提にした文化文明でしょう。そして、縄文土器とは違って、鉄自体が作品化されて後世の我々の目を楽しませることはほとんどなかった。鉄を持っているというだけで文化足り得た時代でしょう。土器のような視覚的な妙技を競う技も意志も持たなかったのでしょう。)
客観的には日本列島で激しい民族の移動が少なかったから縄文土器文化が長く続いたのでしょう。もっとも、日本列島は大陸の東端に位置しますから、それなりの民族の移入はあったはずです。結果から見れば、「縄文土器文化」を受け入れることが列島に住む踏み絵になったようです。つまり、土器は土器以上の役目を社会から担わされていた。
文化は学ばれるべきものですが、目に見えない学習を通して人の遺伝子に組み込まれているのではと思っています。学習以前に血肉化されているかもしれない。

血肉化された縄文の縄文の焼物精神を現代に目に見える形で再生させる人々、それが陶芸家かもしれない?縄文精神といっても色々です。火焔土器のような荒々しく男っぽいのはよく知られていますが、まったく反対なエレガントな土器も発掘されています。
(⇒:「曾利式土器」、山梨県殿林遺跡出土 1962年に発掘 高さ72cm。
小学館発行、「全集 日本の歴史 第一巻 列島創世記」の付録冊子より。)
現在の陶芸家の土に対する感覚、いろんな焼物心が出てきて、他の視覚美術と響き合えば。