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薩摩・島津と北海道の近代化展
会場:そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター「石蔵」
岩見沢市1条西4丁目3番地
(JR岩見沢駅を出て、左に数分。)
電話(0126)24-9901
会期:2010年10月8日(金)~11月8日(月)
休み:祝日を除く火曜日(定休日)
時間:10:00~18:00
主宰:NPO法人炭鉱の記憶推進事業団
◎ 赤平フットパスウィーク ~立坑を歩く~
10月9日~11日
◎ ワークシップ+懇親会
検証「炭鉱港2010 北の三都物語」
11月3日(水・祝) 14:00~17:00 於・ホテルロイトン札幌(北1西11)
注意 ⇒ 詳細はDMを拡大して確認してください。
ーーーーーーーーーーーーーーーー(10.24)
案内状を頂きました。ありがとうございます。
幕末、九州の薩摩藩や鍋島藩は西洋からの技術をいち早く研究・導入して、造船や武器制作にいそしみました。その薩摩藩の技術が北海道の炭鉱開発に積極的に関わったとのことです。初めて知りました。しの様子を伝える展覧会でしょう。写真中心になると思います。
DM紹介文には、薩南戦争による薩摩の敗北の結果、技術者薩摩人は全国に散らばり、あたかもたまたま北海道の開拓に関わったように記しています。それは間違いの無い事実でしょうが、薩摩と北海道を「西洋の新技術、その導入者としての薩摩人」として狭く考えるのは問題があります。当時の北海道はまさしく薩摩王国でした。それは薩長が明治維新をリードし、沖縄という支配経験のある薩摩が北海道を切り取ったと言っても過言ではないでしょう。だから、薩摩人技術者の道内来住は、個々の技術者の意思を越えた、日本の支配者薩摩閥の意思でもあったと思います。そういう目で今展を見たいと思います。
ところで、明治初中期の道内の薩摩閥の比重は凄く高い。その影響は旭川の陸軍大7師団のリーダーへと受け継がれていきます。ところが、人物を含めた民政的なもので薩摩に関わる事は極めて少ない。結局は薩摩的なものはあまり残っていない。だから、現代の北海道から「薩摩」を思い浮かべることができません。薩摩人は北海道に定着することは無かったからだと思う。大地としての北国に興味がなかったみたいです。新技術の導入という薩摩藩の開明性は、本当の意味での開かれた精神ではなかったのでしょう。